6時起床。朝になるとさすがにテントの中も涼しい。寝袋は使わないで薄手のシルクシーツだけで寝たが、少し寒かった。外に出ると蚊もいなくなっている。
農作業も始まるだろうからさっさと準備するが、それでも8時までかかって出発。まあテントの撤収含めて2時間なら上等かな。
農業地帯を抜けてすぐに荒野になる。今日は追い風。出発もいつもより早いし、涼しいうちにできるだけ距離を稼ぎたいところ。
しばらく走って高速の出口付近に何かの遺跡とガソリンスタンドや工場、そして商店が。ここで昨日から抜きつ抜かれつしている中国人親子のチャリダーに追い抜かれた。軽く手を上げて挨拶。
休憩がてら商店で水分とお菓子を購入。さっきの親子はガソリンスタンドで休憩しているようだ。
再び走り出す。近くを川が流れていて、その川が削った浅い谷には緑がある。
7kmほど進んだところで、自転車を押し歩く中国人のおじさん(というかおじいさん?)と出会った。乗っている自転車は日本でよく見るようなシティサイクル(ママチャリより若干スポーティーなやつ)で、荷物を積んでどうやら旅行中らしい。見ると後輪がパンクしている。
とりあえず立ち止まるが言葉はわからないので、パンクの修理セットを出して見せてみるが、それよりも空気入れを貸してくれとジェスチャーされたので携帯ポンプを貸す。でもパンクの穴が大きいのかタイヤはまったく膨らまない。できればパンク修理してあげたいけれど、人の自転車だけにちょっと自信が無い。おじさんも「いいよいいよ」って感じで諦めた雰囲気。お礼にタバコを差し出してくれた(吸わないので断ったけれど)。
とりあえず、地図を示してここから7kmくらい進んだところに整備工場があると伝えた。そこまでたどり着けば何とかなるかもしれない。
途中、先ほどの中国人親子が見えて、あの人たちなら言葉が通じるからもっと有効な手助けができるかもと思ったけれど、こちらが空気入れを片付けてるうちにそのまま通り過ぎ去ってしまった。なんだよ。
おじさんも「謝謝」と言って歩き出した。何もしてあげられなかったのは残念だけれど、先ほどの工場まで行けばとりあえず危険な事態になることはないだろう。
その後も荒野をひた走る。
なんというか、数日に渡って基本的には似たような風景が続くからあまり書くことが無い。
昼食は高速鉄道の高架下でお菓子。
午後になって追い風が強まる。道も緩やかな下りで20~30kmで快走。
しばらく走って地表の様子が変わる。黒っぽい大地。
小石が多い。細かい土は風で飛ばされ、残された小石の色で黒く見えるようだ。
遠くに街が見えてきた。
強い追い風に助けられて15:30頃に瓜州の街の近くまで来る。分かれ道があって標識に「瓜州」と書かれた真新しい道を走ったらむしろ遠回りで少しイライラしたりしつつ、でも早めに街に着けた。ここから敦煌までは1日の距離。この先マトモな補給地点は無いらしいので、少し早いが今日はこの街でストップ。
宿探しを始めるが、高かったり、外国人宿泊拒否だったり。どうも酒泉と同じ雰囲気を感じる。
安い招待所もあったものの、トイレ・シャワーがあまり使う気の起きないような代物だったので別を探す。
次に見つけた招待所の前で自転車を止めていると、近所のおじさんが話しかけてきた。言葉が通じないとわかると、「この宿に泊まるのか?」と指を指す。「うん、うん」と頷いているところ、丁度この宿の主人と思しき人が現れて、「この人についてけ」と笑顔で促される。うん、雰囲気は悪くない。中に入って値段を聞くと80元でトイレ・シャワー付き。少し高いけど、この先敦煌ではドミトリーになるだろうし、ちょっと贅沢をする。外国人でも何とか泊めてくれた。
よかった、それほど苦労せずに宿が見つかった。
荷物を運んでいるとさっきの主人がスイカをくれた。小ぶりなやつを半分に割って、スプーンが突き立ててある。おお、ありがたい、「瓜州」という名だし何か食べたいと思っていたところ。
部屋でスプーンでほじくって食べると、生暖かくはなっているものの、スイカの水分と甘さがとても美味しく感じる。貪るように食べる。ああ、スイカをこんなに美味しいと思ったのは初めてかもしれない。なにより、突然現れた自転車の外国人に施してくれた優しさが嬉しい。
夕食は米と魚香肉糸というもの。字面からナンプラーを想像したけれど、後で調べたら四川料理の一種らしい。でもケチャップのような味がしたな。
帰りに、さっきのスイカに味をしめて、よくわからないウリ科のフルーツを買ってみる。
スイカとメロンの中間のような味で、でも甘さは控えめ、食感はシャキシャキ。冷えてたら美味しいかも。
さて、あと一日でいよいよ敦煌。しかし今日の追い風が向かい風に変わったらと思うとなかなか恐ろしい。さて、どうなることやら。
【走行データ】
走行距離:115km
総走行距離:4368km