7/23 星星峡→哈密の手前70kmのドライブイン (128km)

ぐっすりと眠る。
こんな場所で寝てました。

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カーソンとエリックは7時には出発すると言っていたが、結局8時ごろに出て行った。
8時か9時に出ると言っていたハイケ姉さんはまだ起きていない模様。
自分もなんだかんだやってたら少し遅れて、9時過ぎに出発。そのころにはハイケ女史も起きて、東からやってきた彼女と道の情報を交換。どうやらこの先もドライブインが点在しているらしい。事前に調べていた数年前の情報だと高速が未開通で、ここから先は100km以上の無補給区間だったようで覚悟していたのだが、何とかなりそうだ。しかも、同じく東からやってきたエリックは街を出たら下りだと言っていた。

走り出してすぐに下り。思わず歓声を上げる。

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ごつごつした岩が目立つ、荒々しい感じのところ。しかししばらく走ると開けてきて、相変わらずの荒野。いや、より乾燥しているようだ。風も向かい風で下りのわりには速度が乗らない。ここで手を抜いて走ると午前中のうちに距離が稼げないと思ったので、下りでもできるだけ漕ぐ。

 
途中で発見した看板。

(^q^)
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居眠り運転の注意喚起だと思うが、ちょっとアブナイ感じの顔。
よっぽど良い夢を見ているらしい。

↓「やだ、あの人ちょっとヤバイくない?」と思わせるような顔。
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11時ごろにエリックからもらった桃を食べる。もっと水分を欲している午後に食べたいところだけど、あまり暑いなか運んで傷んでも嫌だし早めに食べてしまった。
出発したら昨日と同じようにすぐにドライブインを発見。しかもカーソンが休憩していた。出発が早かったし、彼は今日中に180km以上先の哈密まで行くと言っていたから(凄いね)、まさか追いつくとは思わなかった。どうやらトラックドライバーと店のおじさんと一緒に食事をして話が長引いているようだ。自分もそこに加わって昼食。

カーソンが通訳になってくれての会話。今日も再びデリケートな話題が飛び出した。尖閣諸島についてだ。「この問題で中国人は怒っている」と。おじさんたちは「尖閣諸島をめぐって中国と日本が戦争をしたら、アメリカは手を貸さないだろうし、中国が勝つだろう」と物騒なことを言っている。しかし、同じような見解を以前ネット上のどこかで見たことがある。
これはおじさんたちの質問なのかカーソンの質問なのかわからないけれど、「尖閣諸島はどちらのものだと思う?」と聞かれた。カーソンは相変わらず自信にあふれた挑戦的な目をしている、ようにこの時の自分には見えた。少し緊張していてそう感じたのかもしれない。

「わからない。なぜなら僕は専門家ではないからね。」と逃げの回答をする。しかしそれに付け加える。「でも我々は決して戦争をしない。それは間違ったことだ。日本と中国は世界の人たちが見ている中でもっと話し合うべきだ」と。
つたない英語ではこれが精一杯だったけれど、カーソンはそれなりに納得してくれたように思う。今の日本政府と自分のこの考えは一致しないけれども。

こちらからもカーソンに同じ質問を返してみた。これは自分が正確に聞き取れてる自信が無いのでオマケ程度に読んでほしいけれど、「どちらであっても別に気にしない」と言っていた。なるほど、まあそういう人もいるよな。

そしておじさんたちも、別に気を悪くするでもなく笑顔で見送ってくれる。

ネット上では嫌中・嫌日がそれぞれ汚い言葉を吐き出しているけれど、実際に面と向かって話せばもう少し距離が縮められるのに。いやそれとも、こちらが自転車旅行者という特異な状況だったから今回はお互い笑顔でいられただけなのか。あるいは向こうが若者だったらもっとムキになって食い掛かってきたかもわからない。もちろん、人による、というのもあるのだけれど。

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余談だけれど、この右のおじさん(大型トレーラーのドライバー)の月収は2000元(約33万円)らしい。これは香港出身のカーソンから見ても結構な高給で、トレーラーを自分で所有しているのでその分給料が良いそうだ。

 
少しだけカーソンと一緒に走るが、彼の方がペースが速いのですぐにお別れ。

その後もドライブインで休憩しつつ荒野、というか砂漠を走る。もう坂は下りきって哈密まではほとんど標高は変わらないはずだ。

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風が強いので敦煌で買った帽子が使えず、以前のようにキャップを被って走る。そして直射日光を少しでも遮るためにネックカバーを使用。怪しい感じです。
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心が折れそうになるくらい何もない道が続く。
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走っていると遠くにカーソンが見える。どうやらペースが上がっていないようだ。
16時頃にドライブインで休憩。ここでもカーソンと再会。まさかまた会うとは。
向かい風が強いし、なによりこの日差しにかなりやられているように見える。冷たい飲み物を買って二人で休憩。こちらは今日は野宿と考えているので焦る必要も無い。少し長めに休憩して暑さのピークをやり過ごすのも手かもしれない。

今度はこちらから質問してみる。「チベットとウイグル自治区は中国だと思う?」と。自分はチベットとウイグルはそれぞれ異なる文化を持っているからそれらはもっと尊重されるべきだと思っていて、そういった意図から来た質問だったが、語学力の無さゆえにとてもシンプルな質問になってしまった。カーソンの答えは「中国はお金も力も持っている。たとえ二つの地域が独立したとしても、中国から離れることによって今より良くなるとは思わない。」というような内容だったと思う。

 
しばらく休憩してから走り出そうとするとカーソンの自転車のタイヤがパンクしている。「クソッ」と言いながら修理。しかし日陰があるうちに気づいてよかった。見るとリムもスポークの付け根のところでバキバキに割れている。哈密までなんとか走ってそこで新しいホイールを手に入れるつもりだそうだ。

修理が終わってからは二人で走ることに。40kmほど先に小さな村があると言うので、自分も一緒に走ってみて宿があればそこに泊まり、彼はまだ哈密まで走り続けるつもりだ。ここからさらに100km近くあるはずだ。

彼は帽子を被らずに走り出したので「帽子を被ったほうが良い」と忠告したが、頭が締め付けられる感覚が嫌なのだそうだ。気持ちはわかるが……。

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しばらく走っているとクラウンに乗った裕福そうな3人のおじさんに話しかけられた。カーソンは香港から、自分は日本から来たことを知ると凄いテンションの上がりよう。カーソンは先ほど、哈密では日本人であることを無闇に言わないほうが良いと言っていて、日中間の関係悪化を気にしているようだったけれど、実際のおじさんたちの反応を見て少し驚いているようだった。そう、実際にはほとんどの人が好意的に接してくれるのだ。

写真を取り合ったりした後、おじさんたちは仏教の道具(?)をくれた。木か、何かの種でできているのか。200元するとか言っていたが、そんな高いものを頂いて良いのだろうか。
でもそれほどまでに感激してくれたようで、こちらも嬉しくなってくる。

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後日撮影
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その後も走り続けるが、カーソンはかなりばててきているようだ。こまめに休憩しつつ進むが、さすがに彼も哈密まで進むのを諦めて、この先の村に泊まる事に。一方こちらは休憩をたくさん取ったため、疲れはあるものの調子は悪くない。とにかく「シャワーを浴びたい」と言い合いながら進む。

20時過ぎまで走り、村の手前のドライブインで先に夕食を食べる。

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村まではあと数キロだからもうゴールみたいなものと考えながら食べていると、カーソンが飲み物を持って外に出て行った。気にせず食べていると、周りの人たちの様子がおかしくなった。嫌な予感がしてすぐに外に出てみると、カーソンが椅子に座り込んでいる。眼の焦点があっていない。戻した後だろうか。熱中症だった。

意識はあるので、スポーツをやっていて対処法に詳しい彼自身に聞きながら処置をする。水を頭からかけたり、濡らした手拭いで血管のある位置を押さえたりして身体を冷やす。

しばらくしていくらか状況が良くなった。話すと、視界が真っ暗になり耳も聞こえなくなったと言う。このまましばらく休んで、回復したらこの先の村まで行って宿に入ろう。ゆっくり休める場所に行かないと。
意識がはっきりしてきた彼は、フェイスブックのブログに載せたいから写真を撮ってくれといわれた。なに馬鹿なことを言ってるんだと思ったが、いくつかのスポンサーを背負って走っている彼にはこれも重要なことなのだろう。呆れながら彼のカメラで写真を撮る。周りの人も笑っている。

時間は北京時間で21時ごろ。この辺りではまだ日没の時間。大変なことになったと思いながらぼんやりと陽が沈むのを見ながら時間が過ぎるのを待つ。状況がわかっていないのか、彼の背後では店の人たちが酒を飲みながらトランプをしている。ひょっとしたら人が死んでいたかもしれないのに、なんともシュールな場面だ。

しかし、このまま回復するかと思いきや、再び症状が悪化してきた。「電話で助けを呼ぶか?」と聞いてみるが、「最も危険なピークは過ぎた」という。しかしまだ安心できない。
そんな波を2度ほど繰り返しただろうか、一向に良くならない。とうとう、彼は病院へ行くと決断した。むしろもっと早く病院へ行くことを提案すべきだったと思いながら店の人を呼ぶ。
症状が落ち着いているすきを見て店の人の車で近くの病院へ運んでもらう。飲酒運転だが、今はそんなことも言っていられない。それにしても、ここが荒野の真ん中でキャンプしている最中でなくて良かったと思う。

10分ほどで病院に着き処置をしてもらうが、結局、哈密の大きな病院へ移動することになった。(その場で350元を払っていて、あれは多分救急車での搬送費だったのだろう)
親身になって付き添ってくれていたおじさん(しかしこの人が店の人なのか、客なのかはわからない)がそのまま救急車に同乗し、自分は店のボスが運転する車で戻って、自転車と共にカーソンを待つことになった。

とりあえずもうできることは無い。それに運ばれていく段階では症状も良くなってきていた。安堵感を覚えながら、店でパイナップルジュースを飲みながら時間をつぶす。店の前においてあるベッドで夜を明かすことになったので、店が閉まるまでは寝ることもできない。助けてもらっておいてなんだが、店のボスも悪い人ではないものの感じの良い人というわけでもない。食事代を払おうとしたら、病院まで車で運んだ手間賃込みで100元を請求された。まあいいさ、これで彼が助かるなら100元なんてどうだって良い。

0時を過ぎてようやく店じまい。1時ごろには発電機が止められ、照明も消えた。ボスは来るまで帰宅し、店の人も明かりを消して寝てしまった。しかし道にはまだ頻繁に車が通る。

屋根の外に出てみると、ヘッドライトの明かりにもまけず、満天の星空。天の川もうっすらと見える。すごい、記憶の限りで言えば今までにここまでの星空は見たことが無い。

しかしできればこんなに疲れていない状況で見たかった。三脚を出して写真を撮る気も起きず、暗い中でキャンプ用のランタンを頼りに寝支度をする。カーソンは大丈夫だろうか? しかし今はもう寝よう。とにかく寝てしまおう。

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【走行データ】
走行距離:128km
総走行距離:4858km

カテゴリー: 中国(China) パーマリンク

7/23 星星峡→哈密の手前70kmのドライブイン (128km) への0件のフィードバック

  1. takamushi akiko のコメント:

    久し振り!!たったの3泊北海道に行って、帰ってからバタバタ日を送ってたら、随分遠くへ行ってしまった!!厳しい地帯に突入だね。東京より乾燥してるから、汗が乾いて水分が奪われ安いのかな。
    あの格好が砂漠の民と同じ効果なんだね!
    ボーダーレスはネットの上だけで、国境は見えない線で人々を分断しているんだね。
    日本に居れば感じにくいことかもね。
    そう言えば、宣子が‘内地の人’なんて言って、馴染んできたのかなって、感じました。日本の中にも
    見えない線があるんだよね。

    くれぐれも、体大事にね。無理しないで進んで下さい。                        <クマ>

    • shima のコメント:

      返事遅れてごめんなさい。
      今はだいぶ進んでウルムチという街の辺りにいます。
      この辺はウイグル人も多くなってきて、国境は渡ってなくとも異国に来たと感じました。

  2. ぽむぽんた のコメント:

    日本でも熱中症のニュースが毎日のように流れてきます。
    症状が出る前に対処するのが大切らしいです。また、症状が出てしまったら無理せずに休憩するのが良いらしいです。体に気を付けて旅路を楽しんで下さい。

    • shima のコメント:

      返事が遅れてすみません。
      ありがとうございます!
      一番暑い地域は乗り切った、と思います。

      そうですね、特に荒野を走っていると日陰も水も無いので、症状が出てしまったらもうアウトです。
      なのでかなり気をつけて走ってました。

  3. ノベルティ屋 のコメント:

    カーソンさんのその後が気になりますね。
    熱中症には気をつけて!!

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