7/29 鄯善→トルファン(吐鲁番) (108km)

トルファンまであと90km程度、標高にして400m下る。気温と風を考えなければ楽勝の道。でもそう簡単にはいかないだろうな。

昨日買っておいたハミ瓜を食べてから宿を出て、さらに近くの店で軽く朝食を食べる。

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↓ホットケーキのような何か。ふっくらとしていてほんのりと甘く、豆乳とよく合う。そのまま食べてもよし、豆乳に漬けてもよし。
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↓朝から賑わう店
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↓鄯善の街にも砂丘があるが、今日は空気が霞んで見えない
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↓天気は曇り。気温の上がり方が穏やかになってくれるかもしれない。
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↓路面温度上昇によるタイヤのバースト注意。この辺の高速道路を走っているとタイヤの破片が良く落ちている。
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幸いなことに追い風で、出発から2時間で40km以上進めた。これはなかなか良いペース。

11時ごろ、そろそろ休憩かなと思っているとドイツ人自転車旅行者と出会った。彼はこれから韓国まで行き、ロシアを通ってドイツに戻るそうだ。今からだと冬になってしまうだろうから、なかなか過酷なルートを選んでいる。

昨日はウルムチからトルファンまでの200km近くを一日で走った(!)そうだ。しかしこちらにとっての追い風は彼には向かい風。トルファンを出てから40km位までは良かったもののそこから向かい風+登りになったらしい。

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↓葡萄を干す小屋がミニチュアのマンション郡のよう
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↓お墓?
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↓しばらく走ると荒野から渓谷に入った
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ここで後輪がパンク。出発以来、5300km以上走行して初めてのパンク。普段からパンクの原因になるような路上の異物には注意して走っていたが、それにしても驚異的な耐パンク性。パンクというアクシデントのショックよりも、まずこのタイヤの強靭さに驚かされた。オススメです、シュワルベのマラソン・プラス。

↓この写真を撮った直後にパンクに気づく
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↓パンクの原因はΦ2×30mmくらいの釘
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↓この距離までパンクなし
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パンクしたチューブは宿で直すことにして、新品のチューブに交換。チューブ交換自体は簡単だが、荷物を降ろさないとホイールが外せないので面倒臭い。
ジョージは先行していてこちらのパンクに気づいていないので、追いつくために必死に漕ぐ。が、周りの景観が見事なので写真を撮らずにはいられない。

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この渓谷を抜けてトルファンの盆地に入る辺りから強い向かい風に変わる。さっきのドイツ人チャリダーが言っていたとおりだ。飛ばされてきた砂が身体に当たって痛い。火焔山を横目に見つつ、さっきまでの快走から一転、速度は10km/hくらいまで落ちた。

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向かい風は強く、ジョージにはなかなか追いつかない。しかも街に近づくにつれ道は緩やかなのぼりになった。今思えば、海抜がマイナスの地帯を走っていたのかもしれない。

トルファンの街の入り口でようやくジョージに追いついた。50分くらい待っていてくれたらしい。この頃には台風のような風になっていて、急いで街中に入る。

↓開発中のトルファン郊外。住宅地にまでこんなものが。
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トルファンにはユースホステルがあるのを知っていたのでまずそこに行くが、着いてみるとただの青年旅舎で“インターナショナル”ユースホステルではなかった。それでも別に外国人が泊まれれば良いんだけど、部屋を見てみるとロッカーも無いし、全体の雰囲気もあまり良くない。明日は休もうと思っているので出来れば居心地の良い宿に入りたい。ジョージと話してもう少し別の場所を探してみることにした。

しかし結果から言うと良い宿は見つからず。ここトルファンは昨日の鄯善以上に苦労した。甘粛省までは80元で泊まれていたような宿がここでは120元くらい、しかもそのレベルの賓館だと外国人が泊まれない。ガイドブックに乗っていた吐鲁番宾馆は外国人OKでドミトリーもあったものの、部屋は半地下で暗い雰囲気、しかも60元とドミトリーにしては割高。バックパッカーの間では有名らしいが他の旅行者もほとんどいなかったので情報交換も期待できなさそう。

4時間近く街を走り回り、最終的にバザールの向かい側にある交通賓館というところにした。160元と高いが、もう疲れてしまった。

予算を大幅にオーバーした自分に気を遣ってくれて、ジョージが今夜の宿代を出してくれることになった。それはあまりに申し訳ないので最初は断ったのだが、「君の旅はこの先も長く続くし、僕の旅はウルムチまでの後2日だけ。それに僕一人でここに来ていたとしてもどうせ160元払っていただろうし。君はかわりに今夜のビール代を出してくれれば良い。これはプレゼントだよ。」と言ってくれた。なんとお礼を言ったら良いか。こういうふうに思ってくれる人がいる、これはなんと幸せなことだろう。

 

宿に荷物を置いて夕食、「お疲れ様」の乾杯。店の外のテーブルで食べていると多くのウイグル人の若者が通り過ぎていく。宿探しの最中にも気づいたが、平日の昼間から妙に多くの若者が街を歩いている。後で調べてみたら、どうやら今はラマダン明けらしく、そのせいかもしれない。この街は哈密よりもウイグル人の割合が多いようで、いきなり異国に来たようで少し不安を感じた。今までは早く漢族の地域を抜けてウイグル人の街を見てみたいと思っていたのに、いざ着いてみると見慣れぬ人々に不安を覚え漢族を懐かしがったりする。意気地の無い話だ。

しかし、不安を覚えたのには別の理由もあった。

宿探しの最中、商店の主人から、昨日ウイグル自治区内でまた事件が起きたことを聞いた。詳細はわからなかったが、和田(ホータン)という街の施設が襲撃されたというような話だった。

もうすでにウイグル自治区内にかなり入り込んでしまった。ここは中国の東部とは違い、今までに無かった種類の危険が出てきている。ここからさらに西に進めばウイグル人の割合は増え、漢族と見た目がよく似た日本人は、場合によっては危険な目に遭うこともあるかもしれない。

もちろん、自分は「ウイグル人が危険」と言っているわけでは決してない。どこの国であれ多くの人たちは“善良”か“少なくとも悪人ではない”と思う。実際に暴力を振るうのは割合で言えば一部の人間のはず。

しかし、現実的には今のウイグル自治区では事件に巻き込まれるような危険度は上がってきている。ウイグル人と中央政府の間の緊張感は日に日に高まってきているように見える。

これはしっかり情報収集をして状況を確認する必要がある。
せっかくのトルファン到着も、この先に不安を覚えながらの夜だった。

 
【走行データ】
走行距離:108km
総走行距離:5382km

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