宿代の高いアルマティには長居は無用。次の目的地、キルギスのビシュケクへ移動開始。
朝食にサムサ(一個100テンゲ)を食べてから出発。
「トルキスタン」の部屋。高いけれど冷蔵庫があるのが良かった。ネットも有料だけどそのぶん快適。でもネットに接続できる端末は1台だけで、一度登録してしまうと変更できないようだった。それと2日目のシャワーが水……。
アルマティは大きな都市なので、市街地を抜けるのも大変。しかし、交通量が多くて渋滞してる割にはクラクションの音は少ない。ドライバーの運転も荒いものの、歩行者に対しては優しく、横断歩道で人が待っているとちゃんと停まってくれる。中国の街中とは大違いだし、日本のドライバーよりもある意味優しいかもしれない。
トラムとトロリーバスと普通のバスが入り乱れる街。
【今日のピクトさん・番外編】
ちょっとリアルになりました。これを「ディテールにこだわって進化した」ととるか「簡略化という面で記号としては退化した」ととるか。
街を抜けてからは交通量が多い単調な道。このまま走るのはあまりに退屈そうだったので、多少遠回りになるものの脇道にそれて田舎の道を進む。
昼食はハンバーガースタンドのような店でドネルケバブ。店の兄さんが自転車を見て「水はいるか?」と聞いてくれた。くれるならもらいます、と店の中に入ると水道からそのままボトルに注いでいる。大丈夫なのかと思ったが、その兄さんがそのまま水を飲んで大丈夫だとアピールしてくれた。安全な水道水なのか、それとも井戸水か何か使っているのだろうか。大丈夫なのはわかったが、不慣れな水だから一応調理に使うにとどめた方が無難かもしれない。
ところどころ野焼きの跡が。
日陰で休憩していたらおじさんが話しかけてきた。もちろん英語も通じないので「ヤポーニャ」とか「トーキョー」とか言ってポツポツと話すだけだった。それでも二人して日陰に座り込んで良い感じの雰囲気だったのだが、走り出そうとしたら「お腹がすいている」というジェスチャーをして「50テンゲくれ」と言われた。
この旅でこういうのは初めてだったので戸惑ってしまった。しかも中央アジアの中では裕福な国のカザフスタンでこういう人に会うというのも意外だった。もちろん、どこの国にも貧しい人はいるのだけれど。
このときは結局お金はあげなかった。この場でお金をあげることが根本的な解決に繋がるとは思えないし、そもそもこの人がどのような境遇で物乞いをするようになったのかわからなかった。例えばその人の怠惰が原因で貧しくなったということもありえなくはないし、その人からは「それなりの理由があって物乞いをする」というような切羽詰った感じは受けなかった。
しかしお金をあげなかったことが正しい選択だったという確信も無く、なんともモヤモヤとした気分で走行を再開した。
今日も野宿になりそうなので町で食材を購入。商店でビールを購入してから八百屋へ。ジャガイモ・タマネギ・ニンジン・トマトを少量ずつ袋に入れて「店側からしたら面倒臭い買い方だろうな」と思いながら秤のところにいた若い男性の店員に袋を渡したら、お金はいらないから持って行きなさいとジェスチャーしてくれた。これがムスリムの喜捨精神というものだろうか。イスラムの作法はわからないけれど、右手を胸に当ててそう示してくれた青年の姿が印象的だった。
こういう時に、感謝の気持ちを伝える術が「ラフメット(ありがとう)」というひとことしかないのがとても歯痒かった。彼らについてもっと知りたいと思った。
今日はもう街は無いと思っていたら、まだ地図に載ってない小さな町があった。商店があったので休憩していたら子供たちがわらわらと寄ってきた。
夕方の町外れを走っていたら若い男性に呼び止められた。彼は英語が上手で、旅のことについて話した。彼は以前にもサトシ・イシイという日本人サイクリストと会って、その人を泊めたことがあるそうだ。確かにこの道はユーラシア横断のサイクリストにとってメインルートだろうが、それにしても凄い偶然だ。
その日本人サイクリストの話しは興味があったが、特に「今日は家に来なよ!」と誘われることも無く別れる。まあ、いいか。
19時ごろ、そろそろ野宿場所を決めなければと思っていると、前方に集落がありそうな気配があり、さらにその先で野焼きが行われてるのが見えた。これ以上進むと野焼きの影響でキャンプが出来ない可能性がある。幸い今の場所は道が切り通しになっていて、左右の斜面の上に登れば道路からは見えないところでキャンプが出来る。よし、今日はここだ。
今日は満月。夜になっても月明かりで結構明るい。満天の星空も良いけど、月夜も悪くないなと思いながら就寝。