ホテル「アラル」の部屋。オイルヒーターがあって暖かい。またクーラーもあるので夏でも快適かもしれない。
↓暖房があるのでここぞとばかりにテントと寝袋を乾かす
この宿はWifiがあるのでわざわざネットカフェを探したりする手間がなくて良い。というかそもそもこの街にそんなものがあるのかも怪しい(それくらい規模の小さな町)。
しかしWifiの電波は弱いので部屋でネットをしようと思ったらドアの正面まできて作業する必要が。
アゼル・ビザをアクタウで取得する場合に関することを調べる。再取得が可能かどうかはわからないが、とりあえずビシュケクのときと同じ準備をしておけば何とかなりそうだったので、アクタウに着いてからすぐに動けるようにホテルの予約確認のページと旅程表を作成しておく。
昼食は近所の店でラグマン。店の人に勧められたラグマンは600テンゲと高めだったが、勧められるだけあって美味しかった。会計の時にも「美味しかったでしょ?」と言われたので、よっぽど自慢のラグマンなのだろう。「フクースナ!フクースナ!(美味しい!)」と答えておいた。
午後はアラル海を見に行く。といってもアラル海はかなり前から縮小を続けていて、今の湖岸は港町だったここアラリスクから遠く離れてしまっている。
かつての湖岸は今は荒野。一見しただけでは今まで走ってきた荒野との違いを見つけるのは難しい。
小さな流れがあった。遠浅の湖において、船が港に入ってこれるように掘り下げた跡だろうか。
今日も寒い。小雪がちらついて、なんともいえない終末感のようなものが漂っている。
かつては水産で賑わっていたらしいこのアラリスク、果たして今、この街がここに存在する意味はなんなのであろう。
いままで色々なところで「何のためにこんなところに住んでいるんだろう」というような町や村を多く見てきた。人というものは、その土地に人間を受け入れる余裕があればどんなところでも住み着いてしまうものらしい。恐らく、カザフスタンについて言うならこの乾燥して痩せた土地で家畜を育てる(家畜の餌である草を十分に得る)には広大な面積が必要で、それぞれの遊牧民(という呼び名が正しいのかわからないが)がその土地を確保するために広範囲に広がって暮らしているのだろう。だから周囲20kmに何もないようなところにポツンと集落があったりするのか。また、今まで通ってきたクズロルダやテュルキスタンはかつてはオアシス都市だったのかもしれない。
列車のチケットを買いにアラリスク駅へ。駅前にある帆船のモニュメントがなんとも虚しい。
言葉が通じないなかなんとかチケット購入。翌日の27日9:28発で28日19:00アクタウ着。ちょっと優雅に旅がしたいと思って2等寝台を買おうと思ったのだが、駅員に通じてなくて一番安い3等寝台になってしまったみたいだ。アラリスク―アクタウ間で4300テンゲ。自転車は荷物用の車両に積むことになるようだが、それ以外は特に問題無さそうだ。
アクタウ着が夜になってしまうのが少し心配ではある。「アクタウ着」とは言っても実際にはマンギスタウという駅に着き、そこからアクタウまで20km弱はあるので、宿に着くころにはもう完全に日が暮れてしまっているだろう。
しかしとりあえず無事チケットが買えた。列車移動がどういうものになるかわからないが、食料は念のため買っておいたほうがいいだろう。そう思ってスーパーを探すが、どうやらこの街にスーパーは無いらしい。まさかここまでしょぼくれた町だとは思わなかった。
かわりに小さなバザールがあったのでそこで買出し。これはこれでスーパーとは違う楽しみ方ができていいのだけれど。
夕食は昼と同じ店でプロフを食べる。ここのプロフは鶏肉が入っていて、味付けが濃い目。
酔っ払いのおっちゃんたちに話しかけられる。特に害は無いし楽しいのだが、もともと言葉が通じないのに酔っ払いなのでいつも以上に話が通じない。
ムスリムの酔っ払いというのも中央アジアらしいかもしれない。
酔っ払いが去り、ポツンと残されたコニャックのグラス。