午前中はフロントホイールの整備。
ガタを調整するだけでなく、折角なのでバラしてグリースを塗りなおす。
中に残っていたグリースは茶色く変色していたけど、流れ出さずにちゃんと残っていたし粘性もあった。しかしベアリングの玉受けにはカジったような跡が。状態はあまり良くなさそうだが、今はこれで走るしかない。新しいグリスを塗って組み立てる。
組み立ててもちょっとゴリゴリ感が残ったが、抵抗無く回るので問題ないだろう。 それにしても六角レンチ2本だけでは締め具合の調整が大変だった。やはり専用のスパナがあったほうが良い。
昼頃になってやっと外出。ジロカストラはそれほど有名な観光地ではないように思うが、オスマントルコ時代の街並みを残した旧市街が世界遺産に登録されている。なんか、世界遺産って結構あちこちにあるものなんだな。
まずは昼食。宿の近くに手頃そうなレストランがあったので入ってみる。英語が通じたのでローカルフードを教えてもらってそれを注文。余談だが、昨日のレストランも今泊まってる宿も、観光地だからか英語がある程度通じる。
Qifqi(300レク)というものと、
Qifqiはライスコロッケとでも言うのだろうか。オカラのような食感。結構あっさりとしているが、ハーブも効いていて味付けは良い。
チキンスープは米が入っている。少し酸味があり、トルコのチョルバスを思い出す。
昼食を終えてからはジロカストラ城に向けて歩く。
ジロカストラ城は峰の先端にある。その城壁の麓にトンネルがあったので入ってみた。
アルバニアは社会主義時代に近隣諸国との関係悪化で鎖国状態になっていて、その際に全土に多数のトーチカが造られたらしい。これもその一つかと思ったが、トンネルを抜けるとジロカストラ城の下をくぐって峰の反対側に出るだけで、何のために造られたものなのかよくわからなかった。
城壁に沿って元来た側に戻り、城の入り口を目指す。
入場料200レクを払ってジロカストラ城へ。入り口からすぐの城内には古い野砲や戦車が展示されている。しかし「展示」とは言っても照明は非常に暗く、あまり気合の入った展示ではない。
外に出るとジロカストラの街並みを見下ろせる。灰色の屋根が特徴的な石造りの家が目立つ。
説明板によるとこれは冷戦時代に機体トラブルでティラナ(アルバニアの首都)の近郊の空港に不時着した米海軍の機体で、以降、アルバニアで”Spy plane”として展示されていた物だそうだ。
城の先端には時計台がある。
城内は結構どこも荒れていて、柵がしてあるわけでもないので色々なところに立ち入れる。照明の全くない地下に続く階段なんかもあったので、探検好きの人は懐中電灯を持って訪れることをオススメする。まあ安全は保証しませんが。
ベクタシュ教団関連らしい。ベクタシュ教団は十二イマーム派の分派で、20世紀初頭、アルバニアはベクタシュ教団の世界的中心になったそうだ(Wikipedia情報)。
↓とにかく坂の多い街で、とんでもないところに駐車してあったりする。
結構質素な内装だ。でも面白いのが、ミフラーブと絨毯の図柄の方向。
ミフラーブはメッカの方向を示すためにある壁にある窪みだが、なぜか絨毯の柄がミフラーブ(というか方形の建物そのもの)に対して斜めに敷かれている。これは何らかの理由で実際のメッカのある方角とは異なる向きでモスクが建築されてしまい、後に絨毯だけは正しい向きになるように敷かれた、とかそういうことなのだろうか?
モスクを出てスーパーを探しながらの街歩き続行。
とにかくとんでもない斜度の坂で石畳もガタガタ。昨日自転車でこの道を登ってこなくて良かったと心底思った。
スーパーで買い物を済ませて宿へ戻る。物価はやはりギリシャに比べると安そうだ。
夜までビールを飲みながらブログを書き、夕食は昼間と同じ店へ。肉団子入りのスープとピラフとビールを注文。計600レク。
スープに入っている肉団子が一旦揚げているらしく、香ばしくて美味しい。
あまり賑わっている店ではないが、店主が客席に座ってタバコを吸いながら帳簿をつけていたりして素朴な雰囲気。
泊まっている宿も昨日のレストランも、そしてこの店も、みんな結構優しい。ちゃんと笑顔を向けてくれるし、メニューの説明なんかも親切にしてくれる。あまり明るいとはいえないアルバニアの現代史から、なんとなく人々に対しても暗いイメージを抱きがちだが、今のところ良い感じの出だしだ。
さあ明日からのアルバニア走行はどうなるのだろう。