よほど疲れていたのだろう、泥の沼に沈みこんでいくような深い眠りだった。
この宿は朝食付き。トーストと焦げた目玉焼き、イチジクのジャムとバター、チーズ、ミルク、そしてコーヒー。コーヒーはエスプレッソが選べたのでそれにする。砂糖が2袋も付いてきて、恐らくこの辺はイタリアの影響なのだろう。
Skypeで日本の歯科医院に電話して銀歯の件を問い合わせる。しかしネットで調べた以上の助言は得られなかった。「仮詰めだけでも出来るといいのですが」とは言っていたが、とにかく出来るだけ銀歯が取れた歯を使わないようし、歯磨きを念入りにするしかないようだ。
1、2階はネットが使えるが、自分の部屋がある3階は相変わらず不調。直してくれと従業員に訴えるがあまり真面目に取り合ってもらえず、それなら2階の部屋に移りたいと言ってもダメ。そんなこんなしていたら時間は昼になってしまった。観光するつもりでこの町に滞在しているが、疲れのせいもあるのかやる気が失せてしまった。ネットで調べなくてはいけないことも色々あったが、もういいや、どうにでもなれ。どうせ後2日も走ればモンテネグロのコトルに着くから、調べ事はそこの安宿ですればいい。
昼過ぎまで寝て過ごし、14時ごろになって重い腰を上げる。買い物をするために一度は外出しなければならないから、そのついでに観光してこよう。
自転車で郊外の丘の上にあるロザファ城へ。入場料200レク。
ここはジロカストラ城よりも形は崩れてしまっているが、丈の低い草が茂っていて、なかなか気持ちのいい場所。
ここには地下に下りられる階段があって、そこは不良小・中学生の溜まり場になっていた。不良といっても別に危害を加えられるわけではないが、この年頃の少年らしく悪乗りしている感じがある。最初は特に気にせず脇を通り過ぎようとしたが、話しかけられたのでそれに応じる。悪乗りしたガキ子供というのはそれだけで不愉快なもの(と不寛容な自分は思ってしまうのだ。自分だってかつてそうだったのに。)だが、その上どことなくアジア人を面白がっている雰囲気だ。しかも明らかに未成年なのにビールを持ち込んでいて、将来が不安でもある。
不良なんてどの国にもいるが、それでもこの出来事からはアルバニアという社会のラフさを見た気がした。彼らとの会話の中には「セルビア」という単語と争いのジェスチャーが含まれていた。彼らの顔立ちはそれぞれに異なり一見すると他民族のように見えたので、それは友達を相手にした(だからこそ許される)ジョークだったのかもしれない。アルバニアだってコソボをはじめとする様々な民族問題を抱えてるはずだ。いずれにしろ、この年頃から“民族”というものを意識させられる社会の複雑性や困難は色々と考えさせられるものがある。
それにしてもこの文章を書きながらユーゴスラビアに関する現代史を調べていると、時間はあっという間に過ぎ、気分はあっというまにどん底まで落ちる。
複雑な気分で城を去り、スーパーで買い物を済ませてから宿へ戻る。こんな時は明るいうちからビールを飲み始めてしまうのが一番だ。