ホテルで出された朝食を食べて10時ごろに出発。
国境に向けて走り出し町を出たところで思い出した。そういえばネレトヴァ川の対岸には町の郊外を分断するように国境があって、地図を見て不思議に思っていた。地図を見る限り国境は普通の住宅街の細い道に沿ってある。そこがどういう風になっているのか気になった。
モスタルまでは50km程度で焦る必要は無いので、ちょっとその国境を見に行ってみることにした。少しだけ引き返し、橋を渡る。
住宅街の中にもゲートはしっかりとあった。時々車がそのゲートをくぐっていく。住民は比較的簡単に行き来が可能なのだろう。
そのゲートのすぐ手前で左に折れて国境と並行する道があって、左右には普通の建物が並んでいる。その道自体はクロアチア領で、恐らくはその道より東側(もしくはその東側に並んでいる建物の裏手)がボスニア領だと思われる。どうしてこんな国境線が引かれたのかは不明だ。町を構成する民族間の複雑な事情でもあるのかもしれないが、国境を越えたらすぐにボスニアと入っても、まだこの辺はクロアチア系が多そうなものだが。
その道の写真を撮ったのだが、職員に見られてて消させられてしまった。こんな市区町村の境界のような国境でも、一応はしっかりとしているらしい(漂う空気は平和だったが)。またこの国境は「ローカル・ボーダーだから住民以外はダメ」と言われて通過する事はできなかった。やはり引き返してメインルートを進むことに。
メインの国境も簡素な造り。両国共にパスポートの簡単なチェックだけでスタンプが押された。職員もフレンドリー。周囲に両替所等は無い。
ネレトヴァ川周囲に広がる農地のなかを進む道。クロアチアとの変化は特に感じないが、村には教会とモスクが共存しているのを見かける。
今日は向かい風で、時々雨も降ってくる。断続的な雨なので合羽は着ずに、雨宿りでやり過ごしながら進む。
両替が出来なかったのでどこの店にも寄れず(ひょっとしたらユーロかクーナが使えるかもしれないが)、昼過ぎに空腹のまま谷を抜ける。モスタルまではあと少しの距離だが、風が一段と強くなり、空腹で力が入らない身体ではなかなか進まない。
14時ごろにモスタルの町に着く。ここはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時にボシュニャク人(イスラム系)、クロアチア人(カトリック系)、セルビア人(正教会系)の三つの民族の間で激戦が繰り広げられた町であるらしい。町の中心に近づくにつれ、弾痕と思われる穴が無数に空いた建物が目立つ。
とりあえずまずは宿探し。ネットで調べておいたホステルへ行く。モスタル駅近くのGuest House Nanaは、予約サイトで個室が10ユーロとなっていたのでそこをチェック。経営する家族はみな優しく、笑顔で迎えてくれた。
「10ユーロ」というのは部屋を2人で使ったときの1人当たりの値段という意味らしく実際には言い値は15ユーロだったが、それでも結局は10ユーロにしてくれた。英語の達者な宿の息子は優しくフレンドリーで「日本人の客は今まで問題を起こしたことが無いからね」と言ってくれ、かつてここに泊まった日本人旅行者が築き上げた信頼関係の恩恵に預かる事が出来た。しかしそう言われると、「ここでこの信頼を崩すわけにはいかない」という妙なプレッシャーがかかるのだが。
家族のおばあちゃんは「昼時だから」と、昼食を分けてくれた。おお、なんて優しい人たちだ。
焼いたレバーとポテト、それとパン。レバーはしっとりと軟らかくて甘く、とても美味しかった。
夕方に少し散歩に出る。メインの観光地は明日行くとして、近場をぐるっと。
町の中心を流れるネレトヴァ川の西側へ。銃弾の跡が残り、廃墟のままの建物がいくつもある。
街の西側の建物にはストリートアートが多い。その多くは弾痕の空いた廃墟の壁に書かれていて何かしらのメッセージ性を感じるが、どれもあまり明るい絵ではなく、夕方で暗くなってきたのもあってどうにも重苦しい雰囲気だ。
人々の生活は平常を取り戻しているように見える。しかしこうして日常の中に戦争の傷跡があちこちに残り、そしてそれを観光客が写真に収めていくのを見るのは、ここに暮らす人たちにとってどういう気持ちなのだろう。
その後はスーパーで買い物。スーパーや店の雰囲気はごくごく普通。物価はクロアチアより少し安そうだ。
夕食は自炊して、ビールをかっくらって就寝。
【走行データ】
走行距離:55km
総走行距離:13580km