いつもどおり昼頃になってやっと観光に動き出すというスロースタート。
所々に残っている弾痕が空いた建物を眺めながら旧市街がある南に向かって歩く。
まずは腹ごしらえ。適当にあまり高く無さそうな食堂に入る。テラス席にはおじさんたちが集まって会話に興じている。
これは多分チェヴァブチチというもの。棒状のハンバーグのようなものだが、バルカン半島では各地で見られる料理らしい。トルコでもイスタンブール以西でこれに似た「キョフテ」をあちこちで見た。
味はハンバーグというより、ソーセージに近い。しっかりとした塩気とプリッとした食感があって美味しい。一緒についてきたパンには肉汁がかけられていてこれまた美味い。ビールとセットで8マルカ(4ユーロ)。
この店の主人は優しくて、モスタルのポストカードをくれたり、ガイドブックを見せてくれたりした。
牛乳をこぼした時のような臭いがして、テーブルクロスもしばらく換えられていなくて、でも庶民的で素朴な雰囲気の店。こういう店ってヨーロッパに入ってからはなかなか見なくなった。
土産物屋にはトルコっぽい商品が並ぶ。ボスニア・ヘルツェゴビナは他のバルカン諸国よりもオスマン・トルコの影響が色濃く残っている地域だそうだ。
↓ライフル弾を模したキーホルダー。どういう神経でこんなものを売るんだろうか。
世界遺産のスターリ・モスト。ネレトヴァ川にかかる「古い橋」という意味のスターリ・モストは16世紀に建造されたが、ボスニア紛争の際にクロアチア系勢力の手によって破壊されており、今あるのは2004年に再建されたものだ。
橋の再建には“民族間の架け橋”という意味をも込められていたように思えるが、今でもモスタルではボシュニャク系住民とクロアチア系住民は東西に分かれて暮らしているそうだ。紛争から20年経ってもその溝は深いようである。
スターリ・モストはモスタルのシンボルであり、最大の名所。しかしこの町に来た目的はそれではない。かつての紛争の跡、そして異民族が暮らす街の雰囲気、それらを見てみたいと思ったのだ。
この国では民族間による大量虐殺、大量強姦、強制出産というおぞましく許しがたい行為が「民族浄化」という名の下で行われた。人間というものは時々、反吐が出るような愚かな行いを思いつく。
そんな過去を抱えた人々が、今この町でどのように暮らしているのだろう。
スターリ・モストを渡ってネレトヴァ川の西側へ。
ボシュニャク人地区とクロアチア人地区の境界であるらしいBulevar通りの近くにユダヤ教のシナゴーグの跡地があった。それほど広くない更地の中央に、何かの碑がポツンと置かれている。紛争で破壊されたのかはわからないが、宗教施設が再建されないということは、この周囲にはユダヤ教徒がもういないということかもしれない。凄惨な民族紛争の後で、圧倒的少数派のユダヤ人が暮らしていく事はより困難になったのではないか。
正直に言うと僕はこの真新しい教会があまり好きになれない。異様に高い(モスタルの中でも群を抜いた高さ)その鐘楼が、異教徒に対しての威圧に感じられてならないのだ。
街中にあった墓地。ここはもうクロアチア人地区だと思うのだが、それでもキリスト教徒とムスリムのお墓が混在していた。これは少し意外だった。墓石に刻まれた没年は1992年ばかり。ボスニア紛争が始まった年だ。
【今日のピクトさん】
クロアチア人地区を北へ向かって歩き、別の橋を渡ってネレトヴァ川東岸に戻る。
最後に昨日は入れなかったモスクへ。たまたま礼拝の時間に重なってしまって写真を撮れなかったが、邪魔をしないようにモスク内の隅に座って静かに観察。
礼拝が終わったときに一人の男性に話しかけられた。「ムスリムなの?」と聞かれたので少し緊張しながら「いや、違うけれど……」と答えたら、親切に礼拝について説明してくれた。トルコでも見てきたので知っている事柄ではあったが、余所者に対して排他的では無いその姿勢が嬉しかった。
別れて暮らすボシュニャク人とクロアチア人。しかしそれらの“民族”も元は同じ南スラヴ人で言語もほとんど同じ。見分けだってつかない。それはセルビア人もそうであるらしい。ただ、宗教が違うだけ。
宗教の違いというのは当人同士にとっては重要なものなのかもしれないけれど、それを理由に争うのははたから見ている無宗教者からすると無意味なことにしか思えない。
“民族”というものにアイデンティティを求め、プロパガンダで憎しみを増幅され、争って陵辱し殺しあった結果、彼らは何を手に入れたのだろう。彼らは誰に利用され、何のために戦ったのだろう。
暗い歴史を抱えて、今もまだその問題は解決してはいない町。傷跡が生々しく残る町。
しかし実際に歩いてみると、町の人々からはあまり暗さを感じなかった。店に入ればみな笑顔を向けてくれる。治安だってそれほど悪い印象は受けない。思いのほか居心地のいい町だ。これは意外で、また嬉しかった。
きっと心の奥底には辛い思いを抱えてる人も多いだろう。しかしなにしろ、生活して生きていかなければならない。それには暗い顔ばかりをしているわけにもいかない。
それに、今は“戦後”に生まれた世代が大人になりつつある時期だ。きっと何かしらの変化は起きているだろう。
その変化が良い方向のものであることを願ってやまないのだが。