7時起床。そこそこ寝たはずなのに眠い。疲れてるのか。でもなにしろ、何事もなく朝を迎えられるだけでもホッとする、それが野宿。
景色が良くなってきた。絶景とは言わないまでも、こういう雄大さをずっと求めていた。
しばらく下ってJumillaという町へ。丘の上に整った形の城が見える。
街中には大きめの教会もあって、これも他とは少し違う感じの形状。中には入れず。
途中のGSで冷えたノンアルコールビールを買う。そこにいた他の客は、給油のついでに普通に冷えたビールを飲んでいく。危ないと言えば危ないが、のどかと言えばのどか。
そこから少し走ったところで昼食。
今日は日差しが強い。長袖のTシャツ一枚でいると、生地を通してもジリジリと日差しに焼かれる感じだ。
昼食後も下り続け、標高は200m台に。この先グラナダの手前に1400m程度の峠があるはずなのであまり下りたくなかったのだが。
Calasparraという町のあたりから登りはじめる。この町は米の産地なのか、町の入り口にそれっぽい看板があった。
ここから本道を少し外れて脇道を進む。地図で見るとそのほうが面白そうだったのだ。
しかしいざその脇道を走ってみると、やたらと急なアップダウンが続き、風景もそれほど面白いものでもなかった。ハズレを引いてしまった。
しばらく走ってからもう耐えられなくなり、本道に戻る。
斜度はそこそこだが着実に標高を上げていく道。
この辺のオリーブ畑は地面が耕されていてテントを張るには抵抗を感じる。ギリシャを走っている頃のオリーブ畑は丈の低い草が茂っていてとても気持ちの良いキャンプ適地だったのだが。このような農法はこの地域のものなのか、それともこの時期になるとギリシャでも同じようなことをするのか。
17時頃にCaravaca de la Cruzの町に着く。ここで買出しをしてからキャンプ地を探すつもりだったが、地図を見ているとこの町にもホステルを見つけた。それならばこの町で泊まるか、それとも節約のためにキャンプをするべきかとスーパーの駐車場で迷っていると、整備士のような作業着を着たおじさんに話しかけられた。言葉は通じなかったがそのおじさんも自転車によく乗るらしく、「頑張れよ」みたいな感じで応援してくれる。そしてその後もしばらく悩み続けていると買い物を終えたおじさんがスーパーから出てきて、買った飴を分けてくれた。
ミント味で、「元気が出るぞ!」とのこと。
とりあえず、スーパーで買出しする前にホステルの値段を聞いてみることにした。15ユーロ以下だったら泊まってしまおう。シャワーも浴びたいし。
しかしそのホステルの場所に行くと、営業していないのか門が閉まっていた。なんだ、結局キャンプか……。
その町には他に30ユーロほどで泊まれるホテルもあるようなのだが、それはちょっと高いので、やはり今夜もキャンプをすることに。
スーパーで買出しをして、近くのGSで冷たい飲み物を補充(スーパーでは冷えた飲み物を売っていないことも多い)してから走り出す。
もちろんワインも購入。
しかし走り出してからこの町にも見所があることに気付く。丘の上には宗教施設と思われる立派な建物が見えるし、町のあちこちに独特な形状の十字架(普通のカトリック十字の横棒の下に、さらにもう一本横棒がある)が見られる。
この町に泊まって観光してもいい気がしてきたが、迷いながら自転車をこいでるうちに町を出てしまった。
引き返すのは面倒なのでもう諦めるしかないのだが、なんとなく後ろ髪を引かれる思いで先に進む。
この先の日程と限られた予算を考えれば少しでも進んでキャンプするのは正解だが、この旅の終盤になってあくせくするのもなんだかアホらしいし、ただ走ることを目的にして途中の町を通過してしまうのはもったいなく思える。それにこんなマイナーな町はもう二度と来ない可能性のほうが高いのだ。
「走る」ことと「観光」のバランスはいつも考えていて、特に旅の終わりが近づいたここ最近はよく頭に浮かぶ問題だ。走らなければ先には進まないが、しかし走るだけで途中の町や風景を眺めるだけで通過してしまうのでは、旅をする意味があるのかとも思ってしまう。主要な大きな町で休息を取り、そのついでに観光をしていても、それでは普通の観光旅行と大して変わらないではないか。自転車旅はどんな場所にでも自分の足を使って移動しなければならない。そしてその移動の途中には、観光という観点で見れば無名の小さな町が無数にある。そしてそれらの町は、観光旅行では通過してしまう、自転車旅でなければ訪れることが出来ない場所でもある。そういう町を見ずして、それは自転車旅をしている意味があるといえるのだろうか?
町を出てからも続く坂を登りながら、今更引き返す気も無いのにグズグズと考え続ける。すると、丘の斜面に綺麗な草原が見えたてきた。西日に照らされた草原と畑の間に、なんとも素敵な小道が伸びている。その小道を見た途端、今日はここで夜を越そうと思った。
さっきまでの町への執着が一気に消え去る。そうだ、考えてみればこのキャンプだって、自転車旅でなければ出来ないことだ。さっきの町は、もし本当に見たいと思えばバスでも列車でも使ってまた訪れる事は出来るが、このスペインの田舎の自然の中でキャンプする事は、やろうと思ってもそう簡単にできることでは無い。観光旅行は格安航空券と滞在費とちょっとの時間があれば出来るが、自転車旅でのキャンプの喜びはそれだけで得られるものではない。
移動と観光のバランス、それは確かに良く考える必要がある。この先のグラナダでも見たいものがあるからしっかり観光するつもりである。通り過ぎる小さな町についてもよく観察するつもりでもある。
しかし自転車旅においては「移動」こそが本分であり本望であるのだ。“通り過ぎる小さな町”の間にあるなんでもない風景を眺めることが自転車旅なのだ。たかが移動、されど移動。自分の足で進んできたこの道のりと、少しづつ変化する風景を眺めるだけのことにただ喜びと面白みを感じる。国境では分けきれない言葉や宗教や人種のグラデーションを、自転車という速度で眺めることが面白いのだ。
なんて言い訳を考えながらテントを張る。ある程度自分を納得させつつも、見たかったものは見たかったよね。
なにはともあれ、落ち着けるキャンプ地を見つけてオリーブの木の下にテントを張ると、それだけで幸せな気持ちになってくる。まだかろうじて冷たいビールを飲みながら夕食を作り、日が暮れて気温が下がり始めるとワインを開ける。ラジオを聴いていると名も知らない曲のピアノの独奏が流れてくる。テントを出て空を眺めると、新月の後の鋭い細い月が西の空に浮かんでいる。