4/29 コルドバ2日目 ―その1・メスキータ―

 
今日はメスキータ観光。

メスキータは後ウマイヤ朝時代(イスラーム支配時代)に建てられたモスクで、キリスト教勢力のレコンキスタ(再征服活動)によってコルドバが奪還されたあとには教会として転用された建物だ。イスタンブールのアヤソフィアとは逆のパターンとも言える。ここは「メスキータ」(スペイン語でモスクの意)と呼ばれながらも現在でも大聖堂として使われている。

メスキータは通常、8ユーロの入場料が必要だが、朝一で行くと入場料が無料になるという情報を得ていた。宿でもらったコルドバの観光マップによると、8:30~9:30まではミサが行われるので(恐らく本来は信者のために)無料で入れるようだ。

8ユーロは結構大きいので、その時間を狙っていく。宿の朝食が8:30からなので、それを食べて9時過ぎに宿を出る。

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しかし、9:20頃にメスキータに着いて「間に合った」と思ったが、中に入ろうとしても止められてしまった。よくわからないけれど9:30までに入れば良いというわけではなくて、8:30~9:30までの間に見学を済ませて退場しなければいけない、ということなのかも。

仕方ないので通常の開場時間の10時を待つ。チケット売り場もまだ開いていないが、既に列が出来始めていたのでそこに並ぶ。10時になる頃にはその列は結構な長さになっていた。

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8ユーロのチケットを買っていざ中へ。

第一印象は「思ったより天井低いな」というもの。天井の形状もドームではなく平面なのもそう感じる理由かもしれない。今まで写真で見て想像していたのとは印象が違った。

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逆に言えば写真ではこの二重のアーチの視覚的効果が良く働いていたとも言える。それと、最近は西欧の極端な高さの大聖堂に慣れてしまったから相対的に低く感じるのかも。

それにここは元々はモスクであり集団礼拝の場所だから、大切なのは人を収容すること(=面積)で、キリスト教的な設計思想や美観とは当然違うのだろう。
 
 
 
というわけで中はとても広いのでどこから見て回るか迷う。構造的には長方形のスペースの中央が大聖堂部分、その周囲には柱が林立するモスク部分が残されていて、外周の壁には礼拝堂が並んでいる。

メスキータはモスク時代に何度か増築されていて、その場所によって若干作りが違う。入場してから人の少ないほうにさまよって行ったら年代の新しいほうから遡る感じになってしまったが、とりあえず写真は場所ごとに並べていこうと思う。
 
 
 
入ってすぐの、最初に建設された部分。柱の素材や形状がまちまちで面白い。アーチは白い石と赤いレンガを組み合わせて作ってある。

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柱と土台がずれてしまってる。柱はただ乗っけてあるだけなのか、地震のある日本だったら半世紀で崩れてしまいそう。

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最後に増築された部分。増築された場所によって床の高さが違う。ここのアーチのレンガはどうも絵のようだ。内部は恐らく石を組み合わせてあるのだろうけど、手間を省いたのか。

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大聖堂部分。同じ建物の内部とは思えない。ここだけ別空間だ。

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一番奥にあるミフラーブ(モスクには必ずある、メッカの方向を示す壁のくぼみ)。

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宝物庫(?)も見られる。

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↓足元には鯉。この辺でも獲れるのだろうか?
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……どれがどこだか分からなくなったので説明は無し。

それにしても、大聖堂として使われている現在でも、イスラーム時代の装飾がそのまま残されている箇所が多い。特にミフラーブなんて、モスクにおいて最も欠かすことの出来ないものだと思うが、そんな象徴的なものまで残されている。思うに、かつてコルドバを奪還したキリスト教徒たちも、たとえ異教徒(イスラーム)が築いた宗教施設とはいえ、その美しさは壊してしまうにはあまりに惜しいものだったのであろう。
 
 
 
イスラーム勢力の侵攻、そしてレコンキスタはどういう形で行われたのだろうか。

イスラームは他宗教に対しても比較的寛容だったらしく、イスラーム支配下でもカトリックの信仰は認められていたという。つまり侵攻に際してはアラブ人(なのかな?)の流入はあっても、先住民(西ゴート王国の人々、あるいはそれよりさらに昔から住む人々?)の徹底的な排除あるいは改宗は行われなかったということだろう。もちろん少なからずの殺戮もあっただろうが。

一方でレコンキスタの時はどうだったのだろう。キリスト教は異教徒に対して不寛容なイメージがある。イスラーム時代に優遇されたユダヤ人は追放されたらしいが……。

どちらにしろ、それぞれの支配期間が長いから、その間に混血も改宗もそれなりにあって、状況は複雑だったかもしれない。恐らくイベリア半島に元来から土着していた民の血を引くムスリム(改宗してムスリムになった人々)もいたと想像されるから、そういう人たちはキリスト教勢力がイスラーム勢力を排除していく過程ではどう扱われたのだろう。

元々はキリスト教の教会で、それがイスラーム支配時代にモスクになり、今は再びキリスト教の大聖堂になっている。それぞれの時代、それぞれの信徒たちはどういう気持ちで祈ってきたのだろう。今こうしてイスラーム色を強く残した教会で、キリスト教徒はどういう気持ちで自分達の神に近づこうとするのだろう。
 
 
 
2時間ほどで外へ出る。有意義な見学だった。
 
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宿へ戻る途中で昼食。

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7.5ユーロのプレート。棒状の厚切りベーコンをハムで巻いてフライにしたもの、パエリヤ、イカのフライがセットになっている。この棒状のフライがなかなか美味しい。ビールとワインも飲んで11.7ユーロ。

 
 
 
食後は一度宿に戻って少し昼寝。
 
後編に続く!
 

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