朝になっても雨がパラパラと降っている。クタイシには早めに着いておきたいので9時出発を目指すが、濡れたテントを拭いたりしていたらなんだかんだで10時前。
谷間を流れる川に沿って下る道だが、急峻な地形のため時々川から離れて上りになることがある。そのせいもあって標高を下げている割には進みが悪い。
ポツポツと集落があり、家畜も飼われている。ああ、イスラム圏じゃないんだなぁ……、と豚を見て思う。
持ち歩く水を無駄にしないためか、水場があるときに歯を磨くようにしているらしい。確かに合理的といえば合理的。
昼頃に谷を抜けた。商店で止まって休憩。この店の老夫婦が優しい雰囲気の人で、コーラを買って表のテーブルで飲んでいたらザクロをくれた。
トビリシにいる時点ではグルジアの人たちに対して「なんとなく暗い雰囲気だな」という印象を持っていたが、自転車で走っているとその印象が少しずつ変化してきた。どこの国もそうかもしれないが、田舎の道を走っているととても素朴で無垢な笑顔を向けられることが多々ある。
それとは別にグルジアの印象として、
①街中のドライバーが歩行者に対して優しくない(中央アジアのドライバーは道を横断しようとする歩行者がいると高確率で止まってくれていた)
②中央アジアと比べて、ドライバーが挨拶してくれることが減った
というものはある。
……グルジアの印象というよりグルジアのドライバーの印象か。
休憩を終えて走り出すとすぐに街に入った。パン屋があって軽く食事が出来そうだったので、休んだばかりだったがここで昼食。
↓スタバがある!
午後になっても雨は降ったりやんだりで平地になっても緩やかなアップダウンが続いたが、ペースは上がってきて快調に進む。
クタイシの手前で小さな峠を越え、さらに河岸段丘を下って登ったら街に入る。
クタイシの宿はもう決めていた。日本人旅行者の間で有名な“人間世界遺産”に会えるという宿、「スリコの家」。ここはドミトリーが30ラリと決して安くは無いが、朝・夕2食付で、そして何よりスリコ・メディコ夫妻というとても楽しい人たちと酒を飲めるという話だ。
あらかじめネットで行き方を調べておいたので問題なく到着。ここは住宅地にある極普通の一般家屋なので、一見すると全く宿には見えない。
この家の孫である女の子に中に入れてもらい、白髪のメディコさんが迎えてくれた。先客は日本人二人と韓国人二人。そのうちの一人はトビリシのホステル・ジョージアで会ったBPの男の子だった。
自転車から荷物を降ろしていると、地下室から男前のおじいさんが出てきた。この人がスリコさんかと思って挨拶すると、握手した手をそのまま引っ張られて地下室へ連れて行かれる。そこで待っていたのは自家製ワイン、牛の角のコップになみなみと注がれてさっそく飲まされる。荷物を運び入れる前からスリコの家の洗礼を受けてしまった。
そう、ここは酒を“飲める”どころか“飲まされる”ことで有名なのだ。
夕食のときも例外なく飲まされる。メディコさん手作りのグルジア家庭料理はとても美味しく、スリコさん流の客のもてなし方はとても楽しい。
葡萄の葉で包んだドルマはアゼルバイジャンにもあったが、グルジアやトルコを含む広い地域に分布する食べ物らしい。
ここでは決して「一人でしんみり」なんて飲み方は出来ない。
明るく歌い、踊り、飲む。そして周りも問答無用で巻き込むが、その巻き込み方は決して嫌な感じではない。「リトル!リトル!(少しだけ!少しだけだから!)」と何度もワインを注がれて大量に飲む羽目になるが、しかしそこにタチの悪い強引さは無く、あまり飲めない人には配慮してくれる。
スリコとメディコのやり取りも面白い。スリコが飛ばす冗談や「アイラブユー!」の言葉を、メディコは肘鉄やフォークで突き刺すジェスチャーで返す。「スリコ、エブリデイ、プロブレム」と言うメディコと、「(自分のは)グッド・プロブレム」とそれに応じるスリコ。メディコは呆れながらも、どこか楽しそうだ。
スリコは英語がほとんど通じず直接の会話はあまり出来ないのに、それでもこんなに楽しい食事が出来るなんて。
美味しい料理、美味しい酒、楽しく温かい食卓。この一晩の出来事でグルジアに対する印象はガラッと変わってしまうことになる。
【走行データ】
走行距離:76km
総走行距離:9755km