今日は雲行きが怪しい。
朝食はバルセロナで買った味の素のインスタント蕎麦。味は確かに蕎麦といえば蕎麦だけど、それほど美味しいわけでもなかった。
寝ている間にロレーナは仕事に行ってしまったようで、別れの挨拶はできなかった。
朝食を済ませて出発の準備をする。今日はこれからダニーと一緒に少しだけ自転車で走ることになっているので、ダニーの作業が終わるのを待つ。
ダニーは生活を便利にするために自分で工夫して作ったもの(例えば太陽熱を利用してお湯をつくるシステムとか)を嬉しそうに見せてくれる。そして「次はここをこうする計画なんだ」と色々な考えを話してくれる。
「君は日本に帰ってから計画している事はないの?」と聞かれ「まだ決まっていないんだ」と答えると、「旅で見てきたものを日本に持ち帰って仕事にすればいい。僕はアジアを旅したときにはとても多くのものからヒントをもらった。」というようなことを話してくれた(なにせスマホの翻訳機を介してなので正確ではないが)。
確かにそれが出来ればいいのだが、なかなかそう上手くは思いつかない。さて、日本に帰ったら何をしよう?
ドミなので部屋の他の人の起床に合わせるように8時頃まで寝る。まあもちろんそんなの気にせず動き出してもいいのだけど、なんとなくね。
9時からの朝食を食べ、ユウタくんと話したりネットをしたりしつつ11時ごろに出発。
彼が乗る自転車はSurlyというメーカーのもの。自転車旅行者の間ではそのSurlyのロング・ホール・トラッカーというモデルがド定番だが、彼のはトロールというモデルだそうだ。ディスクブレーキだったり、トゥークリップが金属製だったりして格好良い。
また彼が撮る写真は人との距離が近く、僕が撮りたいと思ってもなかなか撮れずにいる写真。こういうのも才能だよなとつくづく思う。
まだまだ先の長いユウタくんの旅。僕みたいに後半でダレることなく、最後まで満喫して楽しんで欲しい。
ユウタくんと別れてから、町を出る前に大聖堂に行ってみる。
昨夜はブログを書いていたりして寝るのが遅くなってしまったので、今朝はとても眠い。パンで朝食を済ませ、この先の宿調べ。
10時前に自転車を取りにいったらスローパンクのせいで空気が抜けていた。予想はしていたので持って来たポンプで空気を入れようとすると、
ボキッと折れてしまった。中国で20元(当時のレートで350円くらい)で買って、いかにも弱そうだったからいつか壊れるだろうなとは思っていたが……。意外に使いやすかっただけに残念だ。
仕方ないので自転車を押して宿に戻り、予備としてキルギスで買って持っていたポンプ(自分の用意周到さが怖い)で空気を入れる。でもこちらはあくまで予備なのでコンパクト性を重視して選んだから、容量が小さくて空気を入れるのが大変。
時間が時間なので今回もパンク修理は後回しにして空気を入れるだけ。
結局出発したのは11時過ぎ。
今日はサグラダ・ファミリアへ行く!
そう決めて目覚ましを6時にセットしたが、気付いたら9時半だった。なぜ?
サグラダファミリアは朝一で行かないと入場に待たされるようなので、これはイカンと急いで準備をし、ネットでYoutubeを見て、11時頃に宿を出る。ん?
目覚ましをかけずに寝たら10時半まで寝ていた。
やる気が全く起きず、ネットをしたり、壁の染みを数えたりして過ごす。
夕方になってようやく外出。とりあえずこの町のカテドラルへ。
ここは入場できる時間が午前と夕方に分かれているようで、その夕方の開場を待って行列が出来ていた。この時点で再びやる気をなくしたが、近くに座ってカテドラルの外観を眺めていると行列は結構スムーズに建物内に飲み込まれていく。これならすぐに入れそうだったので列に並ぶことに。
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今日は結局、今日中のバルセロナ到着を目指すことにした。でも一応ジローナの観光もしたいので早めに出発したいところ。
しかしネットでの宿選びに時間を取られてしまった。バルセロナでは観光と休息で3泊はしたいのだが、そうすると週末に重なってしまい、もう既に予約は埋まり気味で選択肢は少ない上に値段も上がっている(ドミトリーであれば安い選択肢は多いが、今回は個室でゆっくり休みたい)。最近のタイミングの悪さに腹立たしい気持ちになりつつ探して見つけた無難な宿は、注意書きの欄に「自転車は置けない」と書いてある。
置けないとは言っても多少のスペースはあるだろうから頼み込めば何とかなりそうな気はするが、ちょっと不安は残る。しばらく悩んだ末、この宿を予約した。きっと何とかなるだろう。
そんなこんなで10時頃になってようやく出発しようとすると前輪の空気が少し抜けている。パンクだ。
絶大な信頼を寄せるシュワルベのマラソン・プラスだが、タイヤが減ってきたせいかパンクの頻度が上がっている。後輪はサイドウォールに裂け目が入っているから交換するにしても、前輪はこの旅の終わりまでもってもらいたいところ。
スローパンクなのでとりあえず空気を入れて様子を見る。
宿を出てカテドラル(大聖堂)へ。
36ユーロも出したのにこの宿はネットが遅い。フランスはどうもネットがイマイチな印象を受けるが、たまたまだろうか。
朝食を食べつつ引き続き今後の予定を考える。とりあえず今日はジローナまで行くとして、その後の行動のパターンを考えておく。ジローナの宿はホステルのドミトリーに泊まれば予約はしなくても大丈夫そう。バルセロナの宿に関しては、やはりジローナについてから決めよう。
とりあえずなんとなく決まったところで出発。10時。
今日は少し寝坊して7時過ぎに起きる。寝袋に包まっていると暑くも寒くも無く心地よかったが、外に出てみるとテントが凍ってる。せいぜい2~3℃だと思うのだが、意外と凍るものだ。
日が出てからもなかなかテントが乾かず、時間がかかって出発は10時過ぎ。
「よーし、走るぞぉ!」と意気込んで、来た道を引き返す。
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「さっきの公園よりはよっぽど安全そう」、そう思ってここにテントを張った。
夜中の1時に酔っ払いがやってきた。
ブログの下書きを書き終えて、寝袋に包まってウトウトしていると車の音が聞こえてきた。まさかこんな夜中に人が来るとは思わなかったのでびっくりしていると、ヘッドライトでテントを照らされ、そのうえ石を投げつけられた。若い男の笑い声が聞こえる。完全に悪ふざけのノリで、たちの悪いパターンだ。
仕方ないので外に出る。そこには三菱パジェロと3人の若い男がいた。案の定というか、酒の瓶を持って酔っ払っているようで、夜のドライブにでも出ていたのだろう。何でわざわざこんなトレイルを走るんだ。
英語が通じない上に酔っ払いという限りなく面倒な感じだったが、それ以上手を出してくるという事は無かったし、比較的冷静だった一人が「ノープロブレム」(「ごめんごめん、問題ないからテントに戻ってくれ」的なニュアンスだった)と言って他の二人を車に押し込んで去っていった。石を投げつけといてなにが「ノープロブレム」だと思ったが、まあ何事もなくて良かった。
テントを出るときにはアーミーナイフをポケットに忍ばせていた。物騒な話だが、何も対策をとらないわけにもいかない。使うことがなくて本当に良かった。
暗くなってしまえば安全と思っていた林道だったが、まさかこんな目に遭うなんて、ついてないとしか言いようが無い。
ヨーロッパに入るにあたっての不安はこういうところだった。先進国になるほど「若い男」に警戒しなければならない。生活が豊かになり先進的になると、若い男から素朴さが無くなり、わけの分からない犯罪を犯したりする傾向にあるように思う。例えば「オヤジ狩り」だったりホームレスに暴行したり、一種の愉快犯的な行為だ。
野生動物やお化けよりも、本当に怖いのは生きた人間だ。
その後は爆睡したものの、いまいち疲れの取れないまま朝を迎える。
少し寒いが、テントの結露は無い。ぼちぼちと準備をして、10時前に出発。
同室の団体客は昨夜遅くに帰ってきてガヤガヤとうるさかった。そして朝になっても起きないので、今度はこちらがうるさくしないように気を遣うという不公平感。
ここは7時半から朝食だが、今日は時間になっても準備がされていない。というか準備をしてくれるおばちゃんがまだ来ていなくて、結局始まったのは8時過ぎだった。
余談だけどこのYHはWifiはあるものの、食堂までは電波が来ていないので注意(部屋は使用可)。
そんなこんなで出発は10時前。その頃になってもまだ同室の人たちは寝ていた。
このまますぐに町を出ても良かったのだが、最後に近くにあるLes Alyscampsというローマ時代の墓地に行ってみる。入場料は3.5ユーロ。ここは古代から中世にかけて有名な墓所であったらしい。クロアチアで見た中世の墓碑と何か共通点でも見られるかなと思ったが、結局よくわからなかった。すくなくともクロアチアのそれの方がもっと原始的なデザインだったな。
昨夜のドミトリーは、同じく自転車旅行中のおじさんと僕だけの2人だった。そのおじさんと朝食の時に少し話す。彼はこれが4度目になるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅の途中だそうで、自転車ではこれが初めてらしい。
おじさんによるとこのイースター期間中はフランス中どこに行っても混んでいて宿を取るのが大変だそうだ。このYHも今夜は満室という話なので、おじさんは次の町へ向けて出発して行った。
こちらも一応荷物をまとめておく。スタッフがまだ来ていなくて実際の空き情報がわからないが、移動することも考えておく。
チェックアウトの10時近くになって団体客が到着。どうやら楽団のようで、多分この祭りで演奏するために来たのだろう。スタッフもようやく出勤してきたのでダメもとで聞いてみたら、どうにか1ベッドだけ空きがあるそうだ。ちょっと騒々しくはなりそうだが、移動しなくて済むのはありがたい。そのまま延泊。
状況が定まったので、ようやく観光へ。
町にはマーケットが出ていて、日用雑貨や服、それに鶏やウサギなんかも売っている。
7時過ぎに起きて朝食を済ませ、今日の目的地・アルルの宿を調べる。昨日も調べたが、週末に重なってしまったせいか空室がほとんど無い。そもそもアルルにはホステルと呼べる宿が恐らく二軒しかなくて、そのうち一軒は空き無し、もう一軒はネットの情報が無いので不明。予約サイトを見る限り、空室があるのは高いホテルか、アルルからかなり離れたところにあるホテルだけ。アルルは観光したいのでどうしても泊まりたいのだが、ちょっと困った状態だ。
しかしもう考えても仕方ないので、とりあえず現地に行って宿を探してみよう。
マルセイユの海沿いの道を走って町を抜ける。最初は交通量も少なくて走りやすい。しかもここ数日吹き続けていた猛烈な北西からの風は今日はだいぶ弱まっている。
ここは朝食付き。パンとシリアルだけだが、お代わりできるのでまあ十分でしょう。
ただネットがイマイチ。スマホではWifiに繋げるが、なぜかPCだとダメ。理由はよくわからないが、昨日の宿もイマイチだったし、フランスのネット事情はひょっとして良くない?
二度寝してから街の散策へ。今日も風が強い。
朝になっても強風が吹き続けていた。
いつも通り準備するが、とても自転車を漕ぎ出す気にならないほどの強い風なのでしばらく様子見をする。このまま風がやまなければ延泊するか、なんて考えながら10時半まで寝る。
スマホの目覚ましが無くとも6時に目が覚める。寝坊を覚悟していたが、我ながらなかなかではないか。
順調に準備をして9時には出発できそうだったが、充電で預けていたスマホを受け取ると時間の表示がすでに9時半になっている。「!? ・・・・・・???」という感じで何が起きているのかしばらくわからなくて混乱したが、どうやら今日からサマータイムが始まったようだ。そのせいで時計は1時間進み、日本との時差は7時間。腕時計やカメラは今までの時間軸で表示されるが、スマホやガーミンのGPSはサマータイムに自動的に変更されている。
出発したのはそのサマータイムで10時半頃。なんだか1時間損した気分だが、まあ太陽の位置を基準に考えれば関係ない。
日曜なので早めにスーパーで買い物を済ましてから海沿いの道に出る。
綺麗な海なんだけど相変わらずのリゾート。正直に言うともう飽きた。なにせどこも同じような景色で見ていて面白くないのだ。
アップダウンのある海岸の道をしばらく進むとカンヌに到着。カンヌといえば映画祭が思い浮かぶが、街の様子はまあ普通。しかも日曜だから中心のショッピング街は閑散としている。
暖かい朝。6時過ぎに起きると、フランコさんはもう既に出発していた。早いなぁ。
朝食はインスタントリゾット。これは2人前のパックなのでボリュームがあっていいのだが、食器にこびりついてしまうので洗うのが大変。キャンプ場のように水場があるところでないと食べる気にならないな。
ここの朝食は8時半からなので、先に準備を済ませてから食堂へ下りる。
がっさんは既に食事も終えて出発しようとするところだった。普段はかなり朝早く出発するらしいので、今日はこれでも遅い出発。今日は僕がジェノヴァへ到着した日に通過したTortonaまで行くそうだ。
今回はかなり軽量仕様というがっさん。バックパックとフロントバッグ代わりのウェストバッグのみという身軽さ。その分、一日で結構な距離を走るようだ。
ミラノまでの道のり、楽しく安全に走ってください。
さて、朝食も準備も終えて10時にチェックアウトを済ませようとすると、なぜか値段が35ユーロ。あれ、昨日は聞き間違えたのか? いや、何度か聞き返したし30ユーロだったはず、しかし確信は持てないしそのニュアンスを英語に載せて伝えることも出来ない。結局モヤモヤしたまま35ユーロを払って宿を出る。
なんだか朝から凹むな、と思っていたら前輪がスローパンクしてタイヤも凹んでいる。
踏んだりけったりじゃないか★
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3/24
朝起きたら雨。体調も相変わらずなので延泊。はっきり言って大した事は何もしなかった。ベッドに横になってスマホでネットを見つつ、気が向いたら昼寝。
夕方に日本の友達とSkypeで話す。「相変わらずだなぁ」と思いつつ、みんなそれぞれ自分の時間を別々に歩んでるんだということを感じる。
当たり前のことだけど、自分がいてもいなくても世の中は動き続ける。時間は進み変化は起きる。もう少ししたら日本に帰って、自分がいない間に起きた出来事の話を聞いて、その時に何か感じることがあるのだろうか。たった1年とはいえ、きっとそれなりの変化はあるはずだ。もしくは、あまりの変化の無さに驚くことになるのかもしれないけれど。
3/25
この日はさすがに出るつもりでいた。しかし結局延泊。雨も降っていたし、気分も乗らなかった。
最近は一度休んでしまうと一気にだらけてしまう。
昼頃に雨が止んだ隙を縫って少しだけ散歩。
港にある古い軍用潜水艦。
困ったことに体調が回復しない。歩く分には問題ないが、この体調で1日自転車を漕ぐのはシンドそうだ。何とか回復させないと。
今日はまず、不要な荷物を日本に送るために郵便局へ行く。宿の人に郵便局の場所を教えてもらい、そこで段ボール箱も買えるようなので、荷物を袋に入れて出かける。
郵便局に行くと日本と同じように整理番号券を取って順番を待つ。宿の人が「『P』の番号を取るんだよと」と行っていたので、それが郵便部門の順番なのだろう。
自分の順番になって窓口へ行く。受付のおじさんは英語は通じなかったが、とりあえず日本へ送りたい旨を伝えると伝票を出しておじさんが代筆してくれた。ネットで調べると税関用の書類に内容物とその値段等を書かなければいけないようだけど、それは適当に書いてくれたようだ。泊まっているホテルの住所と送付先の日本の住所だけは自分で書く。
料金は箱代3ユーロ+送料34ユーロ。荷物は不要になった防寒着類なので軽いものだから送料もそんなにかからないだろうと思っていたら、意外に高くなってしまった。考えてみたら船便か航空便かの指定もしてないから、航空便扱いにされてしまったのかも。
それはそうと、不安なのが宛名に書いた「Japan」の文字を赤ペンが無かったので黒のボールペンで書いたこと。普通外国に送る際は国名は赤で書くものだと思うのだけれど、大丈夫だろうか? おじさんは特に気にしていなかったようだが、なにせイタリアのことなので不安である。
まあもう出してしまったものは仕方ないので、おじさんにお礼を言って郵便局を出る。
(追記:荷物は4月1日に無事日本に到着したようです)
その後はメルカート・オリエンターレという市場へ。
パンとハムの朝食。イタリアに入ってから袋入りのインスタントラーメンを見かけないので、これからはパンが増えそう。しかし午前中の走行に必要なエネルギーを摂るにはパンは向かないな。ガッツリと食べるにはパサパサして喉ばかり渇くし、身体も温まらない。キャンプのときは何か別のメニューを考えよう。
昨日は何もせずに寝てしまったので、朝になってからこの先のルートや宿の情報を調べる。安宿が少ないヨーロッパでは事前の情報収集は重要だが、これが結構面倒臭い。
そんなことをしていたら出発は11時。とりあえずこの先はMantovaという町を経由して北イタリアを横断して、ジェノヴァのあたりで海に出る予定。
今日は雨ということもあり休息日。
いや、折角だから今日も観光しようかと思ったのだが、結局動き出せずに一日中宿にいた。やっぱりバスに乗らないと観光に行けないというのは面倒だ。バス停まで歩き、切符を買ってバスを待ち、ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って移動する。それだけで30分くらいはかかってしまうし、それを雨の中でやる気は起きない。やっぱり島内に宿を取るのがベストだよな。
そんなわけで大した事は何もせずに過ごす。ブログもほとんど手がつかない。困ったものです。
夕食はどこかで食べてこようと思ったが、月曜も閉まっているレストランは多いようで、結局スーパーで惣菜を買って帰ってきた。まあこれはこれで美味しいし楽しいからいいのだけれど。
グラタンのようなものと、鱈の塩漬けかなにかを使った和え物、
それにこの前買って美味しかった限りなく生のハム。そしてモッツァレラチーズ。
これだけ買うとスーパーとは言え結構高くつく。他にジュースとお菓子、朝食用のパン、ハムを買ってトータル20ユーロ超。
……「セツヤク」ってなんでしたっけ?
自転車旅だと観光と休息の両立が難しい。たとえヴェネチアという魅力ある街であっても、走り疲れた翌日の朝の気だるさには敵わない。それが疲れが出てきた旅の終盤ともなればなおさらである。怠惰な生活のなんと魅力的なことか。
そんなわけで午前中は動かず、昼前になってとりあえずスーパーへ買い物へ。今日は日曜だから午後になるとスーパーが閉まってしまうかもしれないので、やる気があろうと無かろうと買い物だけは済ませておかなければならない。
そう思って最寄のスーパーへ行ったら、そもそも日曜は営業していなかった。流石イタリアだ。仕方ないので別のスーパーを探して街を歩き回る。
看板を頼りにたどり着いたスーパーは幸い営業していた。店の営業時間の表示を見ると、ここは日曜でも夜までやっているらしい。そのせいで客がこの店に集中するのか、結構混んでいた。
とにかく買い物を済ませて宿に荷物を置き、やっとヴェネチアへ。
まずはメストレ駅前のバス停に行く。宿の人に「駅構内で切符を買ってNo.2のバスに乗る」という事は聞いてあった。駅の建物の前に券売機らしきものもあってそれでも買えるようなのだが、機械が不調なのか小銭を受け付けてくれず、紙幣もはじき返された。素直に構内へ。
どこで売っているのかよくわからなかったがとりあえず売店の人に聞いてみたら「ここじゃなくて、ホーム側の店」と言われた。言われたとおり列車が発着するホームのキオスクのような店(イタリアでは「タバッキ」。タバコ屋のこと。)で無事に購入。1.3ユーロ。
テレホンカード(懐かしい)のような切符を持ってバス停に戻ると10分くらいでNo.2のバスがやってきた。乗客は多く車内は非常に混んでいる。切符のチェックはどのタイミングでするのだろうと思いながら乗り込んだが、結局なにもチェックはなく、10分ほどでヴェネチアのローマ広場に到着して下車。
帰りのバスでやっとわかったのだが、どうやらバス車内の機械に切符(ICチップか何か入っているのだろう)をかざして“刻印”しなければいけないようだ。しかしこの機械、車内の中ほどに設置されているので混雑した車内ではそこまでたどり着くことも出来ない。乗客自身の責任や良心に頼ったシステムで、刻印していない切符や無賃乗車がもし見つかった場合は恐らく罰金ということなのだろう。でもそれなら乗車口に機械を設置して、乗車時に必ず刻印できるようにして欲しいものだ。それなら不可抗力で刻印できないというような事態は防げるし、そこで刻印していなければ無賃乗車だということが少なくとも周りの乗客にはわかるから、抑止力にもなるだろうに。
そんなモヤモヤを抱えつつヴェネチア島へ上陸。
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今朝は意外と冷え込んで、テントが凍ってる。いつもより30分早く起きたのに、結局そのテントを乾かしたりして9時半出発。
7時に起きて準備をしたり調べ事をしたり。
これから2日かけてヴェネチアへ行く。ヴェネチアは元々行くつもりだったが、最近調べていたらヴェネチア島内の水路を渡る橋が階段状になっていて荷物満載の自転車では移動が厳しそうなことがわかった。そうなると市街地にあるホステルにたどり着け無くなるので一旦はヴェネチア行きを諦めたのだが、それはあまりにももったいないように思えたので考え直した。とにかく現地に行ってみて市街地に入れるかどうかを見て、もしダメならヴェネチア島から少し離れるが本土の宿を取ることにしよう。
そんなことを調べていたらヴェネチア以降のリサーチが出来ずに時間が来てしまった。
出発は10時。ATMでお金を下ろしてから町を出る。
今回は最後まで1人でドミトリーを使えた。いつもこうだと良いのだけど、もちろんそうはいかない。
昨日買っておいたパンで朝食を済ませて9時半ごろに出発。今日はこのあと国境越え。スロヴェニアから再び通貨がユーロになるので、今のうちに残ったクーナの小銭を消費しておく。パン屋へ行き上手く消費できるように値段を見ながら調整して選んでいたら、状況を察したのか、それとも相当貧乏でなけなしのお金を握り締めてやって来たと思われたのか、レジのおばちゃんが笑いながら選ぶのを手伝ってくれた。
国境に両替屋がいるかわからなかったので、念のため両替も今のうちに済ませておく。近くの貴金属店に行き、残りの紙幣の両替。しかしここだと5ユーロ単位でしか両替していなくて、10ユーロ分には惜しくも届かない金額のクーナしか持っていなかったので5ユーロ分だけ両替。結局またクーナの小銭が増えてしまった。仕方ないのでこの先どこかの商店で使い切ってしまおう。
そんなこんなで結局走り出したのは10時ごろ。
東日本大震災から、えーと、4年か。
東北の復興がまだまだ進行中なのにこうしてフラフラと遊んでいるのはなんとも妙な気分で、一種の罪悪感みたいなものも生まれてくるのだが、しかし今はそんなことで悩んでも仕方ないのであまり考えないようにする。そもそも、地震があろうとなかろうと、世界のどこかでは日々誰かが苦しみ死んでいくのだ。それらについては普段から考えるべきことで、3.11だから都合よく思い出して勝手に落ち込んでいるだけでは意味がない。
と、肝に銘じておいて、今日は今日とて観光です。
リエカにはトルサット聖母教会というところがある。ガイドブックによるとそこはイエス・キリストが暮らした家が天使によってイスラエルから運ばれてきた場所であるらしい。天使が家を運ぶという状況がいまいち上手く想像できないのだけど、CH-47がコンテナハウスを吊るしているような感じだろうか。
とにかく宿を出てトルサット聖母教会へ向かう。
宿はアパートの中にある。ドアの脇に小さな看板があるだけなので見つけづらい。